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100年後の映画館のために

映画館元副支配人による映画と映画館をめぐるインタビューの記録

2023-05

<精神のたたずまい>を取り戻すために(岩名雅記さん)

引き続き『夏の家族』監督の岩名雅記さんインタビューをお届けします。
上映は11月12日(金)までです。お見逃し無く!


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第19回: 岩名雅記さん(『夏の家族』監督、舞踏家) 後編

natunokazoku05.jpg
<上映情報>
『夏の家族 A Summer Family』(2010年/日本/78分/モノクロスタンダード)
渋谷UPLINK Xにて絶賛上映中!
・10/30(土)~11/12(金) 15:00
※10/30(土)~11/5(金)は、1階UPLINK FACTORYにて連日13:15から上映あり
詳しくはコチラへ


★エロチックでない性描写
Q:先ほど「死」についてお話いただきましたが、「生」の部分についてはどのように
お考えでしょうか? 

岩名:その質問への答えになるかわかりませんが、動物の死骸や、紫陽花の花を4カット、
これは季節ごとに朽ちていく様子を撮っています。また、台風で折れた木や、枯れた
樹木を燃やすシーンなど、生命の変転を描くということで「生と死」を描いたつもりです。

Q:今回の作品でもっとも物議を醸す部分は、過激とも言える性描写だと思います。
「え、そこまでやっちゃうの?」と正直驚きました。前作では性描写に関して周囲の
過剰な反応がありましたが、その反応を受けてあえてもっと過激に描かなければいけ
ないという気持ちがあったのでしょうか?

岩名:それはまったくありません。普通、エロチックな映画というのはしばしばストー
リーの展開のための道具として性描写を挿入します。前作での性描写はややそういう面
がありましたが、今回の場合は、先ほども申し上げたように「全ての生命というものは
等価である」ということと「人間の身体の部分部分もまた等価である」というメッセー
ジがあります。社会的な視点から見ると公衆の面前で性行為を見せるのはアブノーマル
ということになるけれど、「ヒト」の視点から見れば性行為もヒトの営みの一部であり、
生殖器も身体の一部であるということを描きたかったのです。僕の中では、食事を作っ
ていた主婦が次の瞬間にセックスしても何もおかしくありません。そういうことを描い
てみたかったんです。実際に映画を観た人からは、エロチックでない、即物的で何の色気
もない、という意見が多くありました。

Q:監督の意図としてはエロチックな面も出したかったのでしょうか?

岩名:そういう意図はまったくありませんでした。コップも植物もセックスも、すべて
のカット(画)を同列で撮っていったんです。先日、トークショーのあとビデオ作家の
人と話した時、彼もこの映画は全然エロチックじゃないと言っていました。その理由は
何かと聞いてみたところ、<視線>の問題ではないかと言うんです。性行為をエロチッ
クなものとしてみせる(男性眼線の)カメラの動き、女性の表情、美しさなど、そうい
うものに欠けているということなんでしょうね。でも、それは僕が意図したことなので、
失敗とは思っていません。
★パゾリーニは映画の中で少年を犯すべきだった
Q:監督は以前、mixiの日記でパゾリーニの『ソドムの市』について、作り物でリアリ
ティがないという批評していましたが(※)、『夏の家族』は特に性描写に関して、その批
評を実際に実践した作品でないかと思うのですがいかがでしょうか?

岩名:そうですね、そういう意味では僕は筋を通したと言えます(笑)。『ソドムの市』
を観たとき、かの偉大なパゾリーニもこの程度かと思ってしまったんです。映画を作る
ために作為的に性行為をするとか、少年を犯すとか、ウンコするとか、本当にやる気が
あるなら実際にやってみろと言いたいわけです。カメラの存在があるから恥ずかしいと
いうことも含めてリアリティが出てくるわけですから。僕の映画にエロチックなものが
感じられないという意見があったけれど、実際に性行為をした結果現れた一つの現象なら、
それはそれでいいんじゃないかと思っています。『ソドムの市』の場合は、ウンコが作り
物だとわかっていても普通観る側は想像の中でそれをそれとして観るわけですが、僕の
興味はパゾリーニというヒトを見たいわけです。彼は現実の人生では少年を犯したとか
で殺されたそうですが、だかだか映画でウンコ程度のことができないのかなと思ってし
まう(笑)。そういうところまで実際にやる人がいわば舞踏家なんだと思います。昨日、
トークショーでも話が出たんですが、舞踏家はダンサーではなくて舞踏という理念をも
って突き進んでいく<舞踏主義者>であるべきだと思うんです。そういう意味で、映画
の作り手も<映画主義者>でなくてはいけません。その意味で、恐らく『ソドムの市』
は大変な映画なんでしょうが、僕にとっては注目するには足りない映画です。逆に同じ
パゾリーニの『奇跡の丘』は手放しで好きな作品です。出演している青年がキリスト
そのものになってしまった奇跡、本当に素晴らしい作品です。

※ 2008年01月07日の日記より抜粋
……パゾリーニ自身「映画は現実でもって現実をあらわすものです。それは換喩的であって
隠喩的ではありません。現実はそれ自体でもって現実をあらわすからです。」と言っている。
ではパゾリーニにとって、いや「ソドムの市」にとって現実とは何であり、何処にあった
のか??
 何処にもなかったと言える。勿論僕は性描写のことを言っているのである。性(セックス)、
性器とは何か?「ソドム」にあらわれた性、性器は表現されたもの、あるいはプリテンド
(ふり)されたものであって現実ではない。言葉を変えれば仕掛けが全て見えてしまう
まがい物だった。
 そそり立つ少年のペニスは床に写る影として描かれ、交接している少女の尻の位置とは
明らかにずれている。性器の描写は殆ど全てが遠景であり、パゾリーニの映像手法から
しても納得ができない。主演俳優(ナチス将校)たちの誰一人としてズボンのチャック
は外すけれどペニスも尻の穴も見せない。スカトロジーというのか、将校の出したうんこ
を少女に食わせるシーンだって床に置かれたうんこだけ見せても戦慄がない、などなど。
(中略)
平たく言えばうんこするならその俳優に実際うんこして欲しい。小道具さんや助監督が
うんこのかたちをした出来合いを置いてもそこには何も(俳優とカメラの間に)有機的
な関係も緊張も起こらないからです。仮に俳優が実際にうんこすれば、まず俳優は羞恥心
の中、決意が要求されるし生理も要求される。当然撮影現場は緊張する。うんこが 出れば
臭いがするでしょう。そのうんこをまた少女が食わなければならない。パゾリーニは長い
ショットを撮りたがらない作家だったそうですが、ここはうんこ するところから少女が
食うところまでワンカットで撮って欲しかった。


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★密室の力は取り戻せるのか
岩名:ところで、あなたはかつて映画館で働いていて、辞めたのをきかっけにこのイン
タビューブログを始めたということでしたが、映画館に対して抱いていた期待や失望と
いうのはどういうものだったんですか?

Q:映画館を引き継ぐ前は、旧態依然とした興行のシステムに風穴を開けてやろうとか、
映画だけでなく演劇も音楽も何でもやってやろうとか、いろんな希望を抱いていました。
しかし、運営を始めてすぐに、映画館というものはあまり自由が利かないということが
わかりました。まず資金がまったくなかったので、お金が必要でした。そのためには日々、
配給からフィルムを借りて、1~2週間上映して、返却して、支払って…という「興行」
という昔から延々と続けられているシステムに乗っかって毎日を回していくしかありま
せんでした。結局、家賃とバイト代を支払うための自転車操業が3年間続き、経済的に
追いつめられて辞めたというわけなんです。結局、僕には<普通>の映画館を続けるモ
チベーションがなかったのだと思います。

岩名:その話には、二つのポイントがあると思うのです。一つは組織(オーガナイズ)
について。どのくらいのスペースがあってどういう企画ができるかということです。
例えばアップリンクさんは、ファクトリーというパフォーマンススペースがあり、画廊、
レストラン、ライブラリー、そして映画館という目的の異なる複数の場が連動しています。
この手法も一つの可能性だとは思いますが、絶対的なものではありません。ジャック&
ベティさんは、大きい小屋で小回りが利かないので、現状ではできることも限られてき
ますよね。もう一つは<密室>の問題。僕は映画を観る環境として、スクリーンと安楽
な椅子が映画館に必要な二つの条件だと思っています。一方でなにも映画館でなくても
映画は観れるんじゃないかという考え方があります。しかし、僕にはまだこだわりがあっ
て、映画館はやはりテレビやパソコンの画面で観るのとは違うと思います。家で観て
いたらいろいろ邪魔(中断)が入ったり、画面の外(周囲)が見えてしまう。そこでは
映画の画面は相対化される。映画館はスクリーン以外に何も見えない暗黒の<密室>で
あり、個人と映像とが直接結びつく場所という点で、僕はやはり映画館にこだわりたい
のです。

Q:おっしゃるように、絶対的に映画は映画館で観た方がいいと思います。ただ、あく
までも僕がいた映画館のことですが、とにかくお客さんが来ないというのが現実です。
それはつまり、映画館で映画を観ようというモチベーションがお客さんになくなってき
ているのではないか、監督の言う<密室の力>が失われてきているのではないか、そう
思わざるを得ませんでした。

岩名:<密室>を必要としていないということ?

Q:そうです。そのことに対する認識を持っている作り手がほとんどいないのではない
かと感じたのが、このインタビューブログを立ち上げた理由の一つです。映画館の重要
性はどの作り手も主張しますが、では映画にお客さんが来ているのかといえば、全然来
てない。その現実についてどう考えるのか。これはもちろん宣伝の問題や、小屋の認知
度とも関係していますが、どの劇場も苦戦している事実を考えれば、やはり作品自体の
問題や密室の力の低下が大きいのではないかと思うのです。これは先ほど監督がおっし
ゃった、本質的なものを見ようとしなくなってきているという、変わりつつある時代の
変化と関係があるのではないでしょうか。

岩名:う~ん、今の世の中が果たしてこのままいくのかなと思いますね。例えば幕末に
は坂本龍馬のような志を持った人たちが出たり、最近では60年安保闘争、68年頃から
の数年間のあの熱気……「世の中のどこかがおかしい」という気運が高まって具体的な
行動を起した人たちがかつてはいました。そうした歴史をフィードバックしていくよう
なダイナミズムがあればと思うんですが……今、表面に出てこないだけで、潜在的に
燻っているものがあります。欲求不満になっている人はかなりいると思うんですよ。
これは映画の問題だけでなく、社会全体の問題だと思います。
僕個人について言えば、小さな仕事かもしれませんが、今回の映画では「猥褻とは何か」
ということについて再度考えてみたい。お上から一方的に言われたことを鵜呑みにする
のではなく、自分たちで考えて本来的な意味での「自主規制」をやっている。この映画
を道の真ん中で上映したらそれこそ公序良俗に反するということになると思いますが、
映画館の窓口で「18歳未満じゃないですね?」「あなたはこの映画を観てよろしいんで
すね?」とハードルを上げて、ちゃんと確かめてから上映しています。つまり人が観た
いものを観るという自由、観たくないもを観ない自由はともに保障されるべきです。

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★「個人として立つ」ということ
Q:このブログは「100年後の映画館のために」というタイトルなんですが、この
まま立ち上がる人、行動する人が現れなければ、間違いなく100年後の映画館は衰退
していると思います。もしかしたら無いかもしれません。監督は100年後どうなって
いると思いますか? 僕も監督も当然この世にいませんから、無責任なこと言って大丈夫
です(笑)

岩名:<足>と関係あるかもしれません。昔は、貸し本屋に行く、映画館に行く、寄席
を観に行く、風呂屋に行くという足の文化がありました。今は、人は動くということを
しなくなり、情報を引き寄せる時代です。この間、ホドロフスキーの『エル・トポ』が
上映されていたので、どうしても観たくて劇場まで行きました。観たい映画だったら僕
は絶対に足を運びます。でも一般的には自分の手の内、身の内で観る文化に変ってしまっ
ていますね。

Q:監督は裸一つで踊り始めて以来、常に個人として、<ヒト>として、人生を歩んで
こられましたが、監督のように踊ることも、映画を作るわけでもない、普通に生きてい
る普通の人たちが、どうすれば<ヒト>としての部分を取り戻せるのか、一人の<ヒト>
として歩いていけるのかということについてアドバイスいただけますか?

岩名:やっぱり<個人>として立つということでしょうね。個人は生きていくためしば
しば集団に帰属しています。僕も集団に帰属した経験はあるからわかりますが、集団に
帰属する限り、ルールを守り、足並みを揃える、突出してもだめ、遅れていてもだめと
いう宿命があります。ヨーロッパの社会が多少日本と違うのは、ヨーロッパではサラリ
ーマンは会社が終るとすぐに個人に戻れるんです。日本は会社が終っても個人に戻れな
い。飲み屋でまだ部長課長のままで仕事の話をしている。すごく乱暴に言えば、集団に
帰属しないで個人で立てと言いたいけれど、それは誰もがすぐにできるわけではありま
せん。僕は集団からはじき出されて個人で立たざるを得なかったんですが、集団に属し
ていても個人をきちんと発揮できるような、<精神のたたずまい=ベアリング>といい
ますか、そういうものを持てれば違ってくるではないでしょうか。常に個人を大事にして、
その個人がある時間集団の中に入って行く。集団から出てきたときは、元の個人に戻れる。
そういうスタンスと柔軟性が持てれば人生がもっと豊かになると思います。あまり大き
なことは言えませんが、そんな感じでしょうか。

Q:今日はいろいろなお話が聞けてよかったです。長時間、ありがとうございました。
次回作も楽しみにしています。

2010年10月16日(土) アップリンク1F「タベラ」にて

<プロフィール>
岩名雅記(いわな まさき)
舞踏家、映画監督。 昭和20(1945)年東京馬込生まれ。
69 年TBSを依頼退職して演劇界へ。同69年、劇団人間座で「吸血鬼の研究」
(台本:寺山修司)に出演、72年には土方巽暗黒舞踏派と劇団人間座の提携公演
「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」に出演する。以後俳協、劇団
三十人会時代にはテレビ映画「イナズマン」のウデスパー役など声優としても 活
動する。
75年師も無く突如単独で名づけようのない身体表現を開始する(「舞踏」を名乗っ
たのはその9年後である)。1980年までに全裸、不動、垂立によるいわゆる
’非ダンス’の実験的パフォーマンスを150回以上に渡って展開する。83年 のアビ
ニオンシャルトレーズ国際演劇祭(仏)参加を機に88年渡仏、「全裸の捨て身と爪
先立ちの危機感(合田成男)」で人々を魅了する、以来日欧米40カ国100都市で
パフォーマンスとワークショップを展開する。2011年まで国際舞踏ワークシ
ョップ「緑のユトーピア」を自宅で年間4回のペースで続けている。一方、2006年
には長篇舞踏劇映画『朱霊たち』で初メガホンを取り、08年にはヨーロッパ版を制
作。戦後の東京を舞台に少年の夢と現実を、フランス・南 ノルマンディの自然を活
かしモノクロフィルムで幻想的に描いた。09年9月にはロンドンで開催されたポル
トベロ映画祭で最優秀映画賞を獲得。さらに、同年 のロッテルダム映画祭をはじめ
8つの国際映画祭に公式招待されるなど、国際的に高い評価を受けた。今回の『夏の
家族』は長編第二作、自らも出演している。 映像・舞踏研究所白踏館主宰。フラン
ス南ノルマンディ在住。

『夏の家族』公式サイト 

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<関連作品>
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「パゾリーニは映画の中で少年を犯すべきだった」。「夏の家族」の岩名雅記監督が批判した、巨匠パゾリーニの遺作。


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「夏の家族」岩名雅記監督が絶賛する、巨匠パゾリーニの傑作。「マタイ福音書」のテキストをそのままセリフに用い、キリストの生誕から磔刑、そして復活までを描く。


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