傷ついたままではいやだった(リンダ・ホーグランドさん)
<アート>とは何なのか?
「60年安保闘争」という歴史的事件をアーティストの作品と証言で読み直す画期的な
ドキュメンタリー。監督は、数々の日本映画の英語字幕を担当し、
『TOKKO/特攻』(2007年)ではプロデューサーとして関ったリンダ・ホーグランドさん。
これが監督としてのデビュー作となる。
この作品に登場するアートはどれも、芸術の根源的なエネルギーを感じさせる強烈なもの
ばかりだ。アートといえば、いまジャック&ベティのある町、黄金町では町おこしの一環
としてのアートイベントが行なわれている。かたや、個人的な抵抗の表出としてのアート。
かたや、明るく健全で、誰からも親しまれるアート。対照的な二つのアートのあり方につ
いて、監督はどう考えるか聞いてみた。
------------------------------
第17回: リンダ・ホーグランドさん(『ANPO』監督)

『ANPO』シネマ・ジャック&ベティにて絶賛公開中!
<10/2(土)~10/8(金)>16:30~18:05
公式サイトはコチラ
★アートの衝撃、そしてANPOへ
Q:いまなぜ「安保」なのか、そしてそれをなぜアートという切り口で読み直
そうとしたのかを教えてください。
L・H:私は日本で生まれ、中学生まで日本で暮らしました。西川美和監督が
私のことを、娼婦(日本)とヒモ(アメリカ)の間に生れ落ちた監督と言って
くれましたが、それは日米のねじれた関係の中で生まれ育った者が宿命的に感
じる居心地の悪さです。私は恥ずかしながら、「安保」のことについて何も知ら
ないで育ちました。10歳の時に授業でアメリカが日本に原爆を落としたとい
う事実を知りました。先生が原爆の悲惨さを語り終えたとき、クラスメイトの
視線がいっせいに私に向けられました。このとき私は自分が戦争の加害者の側
に組み込まれたことを初めて自覚したんです。10歳という年齢で、こんな重
い事実は消化しようがありませんでした。勝ったほうの国は、負けたほうの国
の悲惨な事実のことは知りません。勝った側と負けた側でまったく歴史観が違
うんです。その大きな矛盾の中で育ったことが、この映画を作った原点です。
その後、大学はアメリカで学びましたが、ずっと日本映画に関わっていきたい
と思ってきました。そして、これまで多くの日本映画を観て紹介したり、字幕
を書いたりしてきました。あるとき、『にあんちゃん』(59年)ではあんなに
希望に溢れる映画を撮った今村昌平監督が、『豚と軍艦』(61年)では、横須賀
を舞台にものすごく風刺の効いたブラックな作品を作っていることに気づき、
この変化は何なんだろうと思いました。また、政治的なものを撮らない黒澤さん
も、『悪い奴ほどよく眠る』(60年)では露骨に政治汚職を描写していますし、
大島渚監督も安保闘争を題材にした『日本の夜と霧』(60年)を撮っています。
これらの映画から、60年という時代に一体何があったのかと疑問を持ったこ
とが、安保について考えるきかっけになりました。また映画以外でも、
東松照明さんの長崎の写真を見て衝撃を受けて、作品の背景となった戦争や
日米の関係などの歴史をもっと勉強しようと思うようになったんです。
安保闘争のことを知って一番ショックだったのが、国会に警官が500人動員
されて、議員を引きずり出して法案を強行採決し、そのまま50年間内容がま
ったく変わっていないという事実です。アメリカでそんなことが起きたら内乱
が起きます。岸信介首相のバックにはCIAがいましたからそういう事態は起き
ませんでしたが、民主主義を信じていた当時の若者に与えたショックは計り知
れないものがあったはずです。もう一つこの映画を作るきっかけとなったのが、
濱谷浩さんの『怒りと哀しみの記録』を見たことです。この写真集には、建前
なんてなくてホンネの顔をしている日本人が写っていました。その顔はいった
いどこからくるのか?また、中村宏さんの『砂川五番』をテレビで見たときも、
こんな絵が日本にあるのかと衝撃を受けました。これらのアートから感じる
自由さとエネルギーはいったいどこからくるんだろう? これらの答えを探す
中で、60年安保に行き着いたんです。だからアートが先だったんです。アート
がなかったら安保のことを知ろうとは思わなかったかもしれません。アートを
発見することが、そのまま映画を作ることだったんです。
リンダ監督と写真家の石内都さん
Q:映画の中で紹介されている作品は、日本人でもあまり知らない作品かもし
れません。埋もれてしまった作品といいますか・・・
L・H:埋もれてしまったというか、隠されたアートなんです。学校でも60年
安保という抵抗の歴史についてきちんと教えていません。おそらく、その歴史
を見ることが居心地悪くなっているのだと思います。アメリカという国は矛盾
だらけの国ですが、国民解放運動や女性解放運動の歴史はきちんと教えていま
すし、マーチン・ルーサー・キングの誕生日は祝日になっています。日本では
樺美智子さんの場合はそうはなっていません。過去を知らなければ、私たちは
前に進むことができません。今日、渋谷で観てくれた若い人が、大島監督の
60年の映画を観て歴史を知ることができ刺激になった、過去を知らなければ
自分たちがこれからどこに行くのかが見えないと言ってくれたのが、とても嬉
しかったです。
★「ANPO」と黄金町から見えてくること
Q:いま「抵抗」という言葉がありましたが、アートが本来持っている力とい
うのは監督がおっしゃるように何かに抵抗するエネルギーがあると思うんです。
それは政治に対してでもいいし、個人的に抱えている何かに対する抵抗でもい
いと思います。実は今、ここ黄金町でアートイベント(黄金町バザール)が行
なわれています。黄金町という街は、戦後からつい最近まで「青線」という非
合法の売春宿が建ち並ぶ街として知られていました。その町を今、行政がアー
トを使って、健全で明るい町にしようとしているのです。同じアートでも、
「ANPO」で紹介されている作品やアーティストとはまるっきり対極のアート
(アーティスト)が存在するわけです。このような例を踏まえて、監督は
「アート」についてどうお考えでしょうか?
L・H:それはつまり、一つの歴史を潰そうとしてるということでしょう。中村
宏さんたちは当時、一枚も絵が売れてなかったわけですが、それでも作品を作
り続けていました。それが理想とは言わないですが、お金目当てで客をただ喜
ばせようというものと、客に問いかけるアートは根本的に違うと思います。つ
まりエンタテイメントと、人間であることの究極的な問いとの違いです。エン
タテイメントが悪いと言っているわけではなくて、例えば宮崎駿さんのような
エンタテイメントと人間のあり方を問うような作品を作る天才はいますけれど、
そういう人はごくわずかしかいません。そういえば、川島雄三さんがかつて
『しとやかな獣』(62年)を正月映画として作ったけれど、客が入らないと嘆
いていたことを思い出します。

9月19日に行なわれたトークショー。夜の回にもかかわらずまずまずの盛況ぶり。
Q:映画はアートのジャンルの中でも特にお客さんを喜ばせるという要素が必
要になってくると思いますが、いかがでしょうか?
L・H:そこにチラシが貼ってありますが、『キャタピラー』(2010年・若松孝二
監督)は客を喜ばせる映画ではないですよね。あるトークショーに呼ばれたとき
のことですが、若松監督を眼の前にして、多くのお客さんが二度と観たくない
と言っていました。そんな映画は初めてです。『ANPO』について言えば、私は
もう一回観たいと思わせる作品にしたいと思って作りました。「今の何だっ
たの?」と思わせるような、不思議でつかみどころが無くて、それでいて明ら
かに独特の世界があるという、90分という時間で脳裏に何かが残るそんな作品
を目指しました。アーティストが語る部分だけでなく、意図的にただアートと
音楽だけがある空間を作りました。観ている人はこのとき、暗闇の中で映像と
音楽に包まれて、あれこれ考えると思うんです。たぶんこの映画は、物事の本
質を考えない人は見に来ないと思うんですよ。『キャタピラー』もそう。何も考
えたくないという人が、あのチラシに見とれて観に来ないでしょ?(笑)
Q:そうですね、どうぞ来てください、というデザインではないですね(笑)
L・H:今日、会田誠さんとのトークショーのとき、この映画はアートを扱って
いるんだから「ANPO」なんて過激なタイトルをつけたらダメだと言う意見が
お客さんから出ました。でもこういう意見が出るということは、この映画を観
ているうちに、実際に安保をリアルに体験している人はその時のことを思い出
したり、若い人たちはまったく違うことを考えていたり、観る人によって受け
取り方が違うということではないでしょうか。いい意味で映画が一人歩きして
いっているんだと思うんですよ。
Q:いろんな視点に開かれているということでしょうね。
L・H:そう。意図的に正解も出していないですし、観た人それぞれに何かを感
じればいいのです。ただ唯一訴えかけていることとしては、石内都さんの「傷つ
いたままではいやだった」というメッセージです。私も子供頃に刻まれた体験
と向き合いながら、それを乗り越えるためにこの映画を作っているのではな
いか?ということに気がつきました。この映画は傷付いてない人は観に来ない
と思います。何らかの理由で傷付いているから、この映画を観に来てくれるん
だと思うんです。
Q:この映画はどの世代に観て欲しいと思っていますか?
L・H:安保を知っている人ももちろんですが、安保を知らない世代にも観ても
らいたい。坂本龍馬の時代ではなく、おじいちゃん、お父さんが若かった頃、
それほど遠くない時代に安保という輝かしい抵抗の歴史があったということを
知ることはその人のアイデンティティに影響してくると思います。若い人たちに、
こんな人が身近にいたということを知ってもらい、勇気と自信をもって生きて
いって欲しいですね。
★アートは<抵抗>する
Q:監督はもともと映画を観る専門家でしたが、作る側に変わって映画に対す
る意識に変化はありましたか?
L・H:やっぱり変わりましたね。映画についてより深く考えるようになりました。
「ANPO」は編集に10ヶ月かかりました。1000枚近くある絵画と写真と25本
くらいある映画をどうやってまとめていくかにすごく悩んで、やっとのことで
90分以内に纏めることができました。そういう過程を経てようやく、海外の映
画祭で上映したり、アップリンクさんに配給してもらい、こうしてジャック&
ベティさんにも呼んでもらいました。だから、映画に対してもっと厳しくなり
ました。
ところで、アートの話に戻りますけれど、もっとも原始的なアートは、洞窟
の壁に描いた獲物を追う壁画ですよね。動物は現実に怯え、ただ従います。
人間は現実に抵抗することができるし、それを変えることができます。人間は、
アートによって想像力を掻き立てて、眼の前の狼に対して恐怖心を克服し、
手で道具を作り動物を殺すことができるようになりました。このように、変
えることのできない現実を変えることができるアートというものは、どこか
マジックのようなものなんです。そして壁画が表しているように、深いとこ
ろで生命の根源に結びついた、とてつもなくパワフルなものなんです。だから。
そういう根本的な部分が欠けた、お客さんを喜ばすためだけのアートは、ただ
の飾りになってしまうのではないでしょうか。飾りはアートというより、クラ
フトと呼んだほうがいいと思います。
Q:魔術的なものではなく、単順にテクニックだけというか…
L・H:テクニックと、あとはデザインが綺麗かどうかということです。自然の
中の美しさを模倣しようという行為と、現実の中の自分を変えようとする行為
はまったく違う営みではないでしょうか。
Q:「アート」という言葉一つでそれらすべてが一緒くたになって語られることで、
アート本来の力が見えにくくなっているのかもしれません。「ANPO」では、飾
りもののアートでなく、本質的なものを描いたアートを取り上げていますね。
L・H:あの時代結局、綺麗な花を描いている場合ではなかったんです。でも、
若手の作家でも、会田さんだって綺麗な花を描いたりしませんね。綺麗なもの
を追求しないアーティストはいつの時代にもいるものです。綺麗なのはいいで
すが、それはモデルと一緒です。モデルさんは、天気の話をして会話が終って
しまいます。別にモデルを否定するわけではありませんが、私は石内さんと話
しているほうが幸せです。
Q:ではこの後、石内さんとのトークショーですが、ぜひ楽しいお話をお聞か
せください。今日はどうもありがとうございました。
2010年9月19日(日) ジャック&ベティ応接室にて
<プロフィール>
リンダ・ホーグランド
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校
に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年 に日本で公開された映画
『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。
黒沢明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、 是枝裕和、黒沢清、西川美和等
の監督の映画200本 以上の英語字幕を制作している。
★『ANPO』公式サイトへ
「60年安保闘争」という歴史的事件をアーティストの作品と証言で読み直す画期的な
ドキュメンタリー。監督は、数々の日本映画の英語字幕を担当し、
『TOKKO/特攻』(2007年)ではプロデューサーとして関ったリンダ・ホーグランドさん。
これが監督としてのデビュー作となる。
この作品に登場するアートはどれも、芸術の根源的なエネルギーを感じさせる強烈なもの
ばかりだ。アートといえば、いまジャック&ベティのある町、黄金町では町おこしの一環
としてのアートイベントが行なわれている。かたや、個人的な抵抗の表出としてのアート。
かたや、明るく健全で、誰からも親しまれるアート。対照的な二つのアートのあり方につ
いて、監督はどう考えるか聞いてみた。
------------------------------
第17回: リンダ・ホーグランドさん(『ANPO』監督)

『ANPO』シネマ・ジャック&ベティにて絶賛公開中!
<10/2(土)~10/8(金)>16:30~18:05
公式サイトはコチラ
★アートの衝撃、そしてANPOへ
Q:いまなぜ「安保」なのか、そしてそれをなぜアートという切り口で読み直
そうとしたのかを教えてください。
L・H:私は日本で生まれ、中学生まで日本で暮らしました。西川美和監督が
私のことを、娼婦(日本)とヒモ(アメリカ)の間に生れ落ちた監督と言って
くれましたが、それは日米のねじれた関係の中で生まれ育った者が宿命的に感
じる居心地の悪さです。私は恥ずかしながら、「安保」のことについて何も知ら
ないで育ちました。10歳の時に授業でアメリカが日本に原爆を落としたとい
う事実を知りました。先生が原爆の悲惨さを語り終えたとき、クラスメイトの
視線がいっせいに私に向けられました。このとき私は自分が戦争の加害者の側
に組み込まれたことを初めて自覚したんです。10歳という年齢で、こんな重
い事実は消化しようがありませんでした。勝ったほうの国は、負けたほうの国
の悲惨な事実のことは知りません。勝った側と負けた側でまったく歴史観が違
うんです。その大きな矛盾の中で育ったことが、この映画を作った原点です。
その後、大学はアメリカで学びましたが、ずっと日本映画に関わっていきたい
と思ってきました。そして、これまで多くの日本映画を観て紹介したり、字幕
を書いたりしてきました。あるとき、『にあんちゃん』(59年)ではあんなに
希望に溢れる映画を撮った今村昌平監督が、『豚と軍艦』(61年)では、横須賀
を舞台にものすごく風刺の効いたブラックな作品を作っていることに気づき、
この変化は何なんだろうと思いました。また、政治的なものを撮らない黒澤さん
も、『悪い奴ほどよく眠る』(60年)では露骨に政治汚職を描写していますし、
大島渚監督も安保闘争を題材にした『日本の夜と霧』(60年)を撮っています。
これらの映画から、60年という時代に一体何があったのかと疑問を持ったこ
とが、安保について考えるきかっけになりました。また映画以外でも、
東松照明さんの長崎の写真を見て衝撃を受けて、作品の背景となった戦争や
日米の関係などの歴史をもっと勉強しようと思うようになったんです。
安保闘争のことを知って一番ショックだったのが、国会に警官が500人動員
されて、議員を引きずり出して法案を強行採決し、そのまま50年間内容がま
ったく変わっていないという事実です。アメリカでそんなことが起きたら内乱
が起きます。岸信介首相のバックにはCIAがいましたからそういう事態は起き
ませんでしたが、民主主義を信じていた当時の若者に与えたショックは計り知
れないものがあったはずです。もう一つこの映画を作るきっかけとなったのが、
濱谷浩さんの『怒りと哀しみの記録』を見たことです。この写真集には、建前
なんてなくてホンネの顔をしている日本人が写っていました。その顔はいった
いどこからくるのか?また、中村宏さんの『砂川五番』をテレビで見たときも、
こんな絵が日本にあるのかと衝撃を受けました。これらのアートから感じる
自由さとエネルギーはいったいどこからくるんだろう? これらの答えを探す
中で、60年安保に行き着いたんです。だからアートが先だったんです。アート
がなかったら安保のことを知ろうとは思わなかったかもしれません。アートを
発見することが、そのまま映画を作ることだったんです。

リンダ監督と写真家の石内都さん
Q:映画の中で紹介されている作品は、日本人でもあまり知らない作品かもし
れません。埋もれてしまった作品といいますか・・・
L・H:埋もれてしまったというか、隠されたアートなんです。学校でも60年
安保という抵抗の歴史についてきちんと教えていません。おそらく、その歴史
を見ることが居心地悪くなっているのだと思います。アメリカという国は矛盾
だらけの国ですが、国民解放運動や女性解放運動の歴史はきちんと教えていま
すし、マーチン・ルーサー・キングの誕生日は祝日になっています。日本では
樺美智子さんの場合はそうはなっていません。過去を知らなければ、私たちは
前に進むことができません。今日、渋谷で観てくれた若い人が、大島監督の
60年の映画を観て歴史を知ることができ刺激になった、過去を知らなければ
自分たちがこれからどこに行くのかが見えないと言ってくれたのが、とても嬉
しかったです。
★「ANPO」と黄金町から見えてくること
Q:いま「抵抗」という言葉がありましたが、アートが本来持っている力とい
うのは監督がおっしゃるように何かに抵抗するエネルギーがあると思うんです。
それは政治に対してでもいいし、個人的に抱えている何かに対する抵抗でもい
いと思います。実は今、ここ黄金町でアートイベント(黄金町バザール)が行
なわれています。黄金町という街は、戦後からつい最近まで「青線」という非
合法の売春宿が建ち並ぶ街として知られていました。その町を今、行政がアー
トを使って、健全で明るい町にしようとしているのです。同じアートでも、
「ANPO」で紹介されている作品やアーティストとはまるっきり対極のアート
(アーティスト)が存在するわけです。このような例を踏まえて、監督は
「アート」についてどうお考えでしょうか?
L・H:それはつまり、一つの歴史を潰そうとしてるということでしょう。中村
宏さんたちは当時、一枚も絵が売れてなかったわけですが、それでも作品を作
り続けていました。それが理想とは言わないですが、お金目当てで客をただ喜
ばせようというものと、客に問いかけるアートは根本的に違うと思います。つ
まりエンタテイメントと、人間であることの究極的な問いとの違いです。エン
タテイメントが悪いと言っているわけではなくて、例えば宮崎駿さんのような
エンタテイメントと人間のあり方を問うような作品を作る天才はいますけれど、
そういう人はごくわずかしかいません。そういえば、川島雄三さんがかつて
『しとやかな獣』(62年)を正月映画として作ったけれど、客が入らないと嘆
いていたことを思い出します。

9月19日に行なわれたトークショー。夜の回にもかかわらずまずまずの盛況ぶり。
Q:映画はアートのジャンルの中でも特にお客さんを喜ばせるという要素が必
要になってくると思いますが、いかがでしょうか?
L・H:そこにチラシが貼ってありますが、『キャタピラー』(2010年・若松孝二
監督)は客を喜ばせる映画ではないですよね。あるトークショーに呼ばれたとき
のことですが、若松監督を眼の前にして、多くのお客さんが二度と観たくない
と言っていました。そんな映画は初めてです。『ANPO』について言えば、私は
もう一回観たいと思わせる作品にしたいと思って作りました。「今の何だっ
たの?」と思わせるような、不思議でつかみどころが無くて、それでいて明ら
かに独特の世界があるという、90分という時間で脳裏に何かが残るそんな作品
を目指しました。アーティストが語る部分だけでなく、意図的にただアートと
音楽だけがある空間を作りました。観ている人はこのとき、暗闇の中で映像と
音楽に包まれて、あれこれ考えると思うんです。たぶんこの映画は、物事の本
質を考えない人は見に来ないと思うんですよ。『キャタピラー』もそう。何も考
えたくないという人が、あのチラシに見とれて観に来ないでしょ?(笑)
Q:そうですね、どうぞ来てください、というデザインではないですね(笑)
L・H:今日、会田誠さんとのトークショーのとき、この映画はアートを扱って
いるんだから「ANPO」なんて過激なタイトルをつけたらダメだと言う意見が
お客さんから出ました。でもこういう意見が出るということは、この映画を観
ているうちに、実際に安保をリアルに体験している人はその時のことを思い出
したり、若い人たちはまったく違うことを考えていたり、観る人によって受け
取り方が違うということではないでしょうか。いい意味で映画が一人歩きして
いっているんだと思うんですよ。
Q:いろんな視点に開かれているということでしょうね。
L・H:そう。意図的に正解も出していないですし、観た人それぞれに何かを感
じればいいのです。ただ唯一訴えかけていることとしては、石内都さんの「傷つ
いたままではいやだった」というメッセージです。私も子供頃に刻まれた体験
と向き合いながら、それを乗り越えるためにこの映画を作っているのではな
いか?ということに気がつきました。この映画は傷付いてない人は観に来ない
と思います。何らかの理由で傷付いているから、この映画を観に来てくれるん
だと思うんです。
Q:この映画はどの世代に観て欲しいと思っていますか?
L・H:安保を知っている人ももちろんですが、安保を知らない世代にも観ても
らいたい。坂本龍馬の時代ではなく、おじいちゃん、お父さんが若かった頃、
それほど遠くない時代に安保という輝かしい抵抗の歴史があったということを
知ることはその人のアイデンティティに影響してくると思います。若い人たちに、
こんな人が身近にいたということを知ってもらい、勇気と自信をもって生きて
いって欲しいですね。
★アートは<抵抗>する
Q:監督はもともと映画を観る専門家でしたが、作る側に変わって映画に対す
る意識に変化はありましたか?
L・H:やっぱり変わりましたね。映画についてより深く考えるようになりました。
「ANPO」は編集に10ヶ月かかりました。1000枚近くある絵画と写真と25本
くらいある映画をどうやってまとめていくかにすごく悩んで、やっとのことで
90分以内に纏めることができました。そういう過程を経てようやく、海外の映
画祭で上映したり、アップリンクさんに配給してもらい、こうしてジャック&
ベティさんにも呼んでもらいました。だから、映画に対してもっと厳しくなり
ました。
ところで、アートの話に戻りますけれど、もっとも原始的なアートは、洞窟
の壁に描いた獲物を追う壁画ですよね。動物は現実に怯え、ただ従います。
人間は現実に抵抗することができるし、それを変えることができます。人間は、
アートによって想像力を掻き立てて、眼の前の狼に対して恐怖心を克服し、
手で道具を作り動物を殺すことができるようになりました。このように、変
えることのできない現実を変えることができるアートというものは、どこか
マジックのようなものなんです。そして壁画が表しているように、深いとこ
ろで生命の根源に結びついた、とてつもなくパワフルなものなんです。だから。
そういう根本的な部分が欠けた、お客さんを喜ばすためだけのアートは、ただ
の飾りになってしまうのではないでしょうか。飾りはアートというより、クラ
フトと呼んだほうがいいと思います。
Q:魔術的なものではなく、単順にテクニックだけというか…
L・H:テクニックと、あとはデザインが綺麗かどうかということです。自然の
中の美しさを模倣しようという行為と、現実の中の自分を変えようとする行為
はまったく違う営みではないでしょうか。
Q:「アート」という言葉一つでそれらすべてが一緒くたになって語られることで、
アート本来の力が見えにくくなっているのかもしれません。「ANPO」では、飾
りもののアートでなく、本質的なものを描いたアートを取り上げていますね。
L・H:あの時代結局、綺麗な花を描いている場合ではなかったんです。でも、
若手の作家でも、会田さんだって綺麗な花を描いたりしませんね。綺麗なもの
を追求しないアーティストはいつの時代にもいるものです。綺麗なのはいいで
すが、それはモデルと一緒です。モデルさんは、天気の話をして会話が終って
しまいます。別にモデルを否定するわけではありませんが、私は石内さんと話
しているほうが幸せです。
Q:ではこの後、石内さんとのトークショーですが、ぜひ楽しいお話をお聞か
せください。今日はどうもありがとうございました。
2010年9月19日(日) ジャック&ベティ応接室にて
<プロフィール>
リンダ・ホーグランド
日本で生まれ、山口と愛媛で宣教師の娘として育った。日本の公立の小中学校
に通い、アメリカのエール大学を卒業。2007年 に日本で公開された映画
『TOKKO-特攻-』では、プロデューサーを務め、旧特攻隊員の真相を追求した。
黒沢明、宮崎駿、深作欣二、大島渚、阪本順治、 是枝裕和、黒沢清、西川美和等
の監督の映画200本 以上の英語字幕を制作している。
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