映画は人の心を深く動かす(藤本幸久さん)
ドキュメンタリー映画「One Shot One Kill」は、
アメリカ海兵隊のブートキャンプでの、「普通の若者が戦場で
人を殺せるようになる」までの12週間の訓練に密着した作品です。
間違いなく現実に起こっていることを記録した映像でありながら、
悪い夢でも見ているような超現実的な映像の連続に圧倒されます。
今回はこの作品を監督した藤本幸久さんにお話を伺いました。
---------------------------------------
第11回:藤本幸久さん(映画監督)
『One Shot One Kill―兵士になるということ』
ジャック&ベティにて、6/27~7/9まで上映(終了)
今後の上映予定は、公式サイトへ
★普通の若者がなぜ人殺しになれるのか
Q:たいへん面白く拝見しました。面白いというと語弊があります
が…とにかくシュールで、非日常的で、自分も洗脳されてしまうの
ではないかと、観てて恐くなりました。
藤本:「面白い」と思ってもらっていいんです。この作品を通じて、
戦争に関係のない人でも、兵士になって、人殺しができるようになる
ということを描きました。アメリカだけでなく、日本にいる若者も、
自分もこの映画に出てくる若者たちと変わらないということを想像
しながら観てもらえればと思っています。
『ONE SHOT~』は、『アメリカ―戦争する国の人びと』というもう
一本の作品と同時期に撮影した兄弟のような作品です。
『ONE SHOT~』のほうでは、若者が兵士になるまでを描きましたが、
彼らが戦場に行ってどんな経験をしてきて、その後の人生にどう
つながっているのか、ということを長い時間をかけて描きたかったんです。
『ONE SHOT~』は作品としては完結していますが、入隊してから
もう2年くらい経っているので、彼らがいまどこでどんなことを
しているのか、ぜひ今後も追っていきたいですし、4年で除隊する人が
多いのでその後の彼らの人生がどうなっているのか、かつて希望を持って
入隊した彼らの夢はかなえられたのかどうかということが描ければ説得力の
あるものになるのではないかと考えています。
かつてベトナムでいろいろ経験した人たちと、新たに兵士になった人たちの
人生が重なっていくということまで撮ってみたいですね。
Q:『ONE SHOT~』の中でインタビューに答えている若者はどのように
選んだのですか?
藤本:僕たちがリクエストを出して、軍が選びました。条件として
マイノリティの兵士を取材したいと伝えたところ、彼らに決まりました。
おばあさんが日本人の日系三世の若者と、お母さんが日本人の日系二世
の子と、フィリピンから移民してきた若者の三人です。
おばあさんが日本人という子は、戦後日本に駐屯していた米軍との間に
できた子供がアメリカに渡ってできた子供でしょうし、お母さんが
日本人だった彼のお父さんは、海軍兵士だったのでおそらく横須賀に
いた人だと思います。
マイノリティとして、それぞれ背景にドラマを持った若者たちが、
軍に入ってどういう人生を送っていくのかというのは関心があります。
彼らを今後も引き続き撮影できたらと思っています。
上映初日に来館した藤本監督。J&Bのロビーにて。
Q:撮影許可が降りるまで、国防総省との交渉は大変だったんですか?
藤本:外国メディアに許可を出した初めてのケースだったので、国防総省が
許可を出しやすい、信頼感がもてる形で提案する必要がありました。
そこで、TBSのNEWS23と協力することにしたんです。
また、撮影する内容についても軍側にメリットがあるものでなければいけない
ので、普通の若者が兵士になるまでの軍の「教育」を撮りたいと提案
しました。軍としても、兵士たちの様々な事件が起きている中で、
何かモンスターのような得体の知れない人間を
兵士として沖縄や日本に送り出しているのではなく、
普通の若者たちを教育して送っているということを見せるのは有意義だと
考えたのではないでしょうか。
Q:撮影についても、様々な規制があったのですか?
藤本:海兵隊にリクエストを出して折衝しました。最初撮影は3日間と
言われたんですが、若者が兵士になるまでのプロセスを撮りたいと伝え
最終的には30日の撮影期間をもらいました。教官たちは、アドリブは
一切なく、すべてマニュアルどおりに教育しているわけですが、撮影が入る
ということはあらかじめ伝えてあるので、おそらくいつもよりは少し上品
に教えていたのではないかと思います。
Q:そうだとしても衝撃的な映像でした。作品の最終的なチェックはありましたか?
藤本:それはありません。撮影する場面の許可を取っていますし、実際の
撮影には広報担当の立会いの上で撮っているので、撮影した中身はわかって
いますし、できあがったものをチェックするのは検閲になって
しまいますから。
Q:訓練の途中でドロップアウトしてしまうケースもありますか?
藤本:全体の10%です。逆に言えば、90%の若者が馴染んでしまう
わけです。100年以上の試行錯誤のうえで最も効果のあがるプログラム
になっているということです。
★上映時間が8時間の理由
Q:『アメリカ―戦争する国の人びと』では先住民のことまで遡って取材されていますね。
藤本:アメリカは戦争で領土を拡大して大きくなってきた国です。
インディアンを殺戮し、スペインと戦争し、メキシコの領土を占領し、
もともと住んでいた人たちがいつの間にかアメリカの人間になっているという、
そういうやり方で今の国の形を作ってきました。占領されて、住民が
そのまま住んでいるというのは沖縄も同じです。そして基地周辺に住む住民の
人権はないがしろにされています。この映画の「先住民」の部分では、
基地が先住民の子孫たちへの深刻な健康被害を与えているという
アメリカ国内の基地被害について描きました。

『アメリカ―戦争する国の人びと』
上映時間8時間14分の超大作
Q:それにしても、『アメリカ~』の上映時間が8時間というのはすごいですね。
藤本:アメリカ人の戦争体験がそれだけ大きく、深いということです。
この作品ではベトナムから、湾岸、イラク、アフガンなどに送られた数百万人の若者たちの
人生の一端に触れようと思うと、いろんな角度から見えてくるものがあるので、時間のこと
は考えずに伝えるべきものとしてまとめました。
Q:興行としては厳しいですよね。
藤本:今回はポレポレ東中野と下北沢のトリウッドで上映していますが、
やっぱり8時間もの映画を観てもらうのは大変ですよね。
でも映画は観てもらわないと映画にならないので、もっと多くの人に
観てもらえるようにハードルを低くしていかなければと思っています。
8月からは映画館のない場所でも観てもらえるように、自分が自ら機材を持って、
上映しにいく「出前上映」をやって、公民館とかお寺とかどこにでもいこうと
思っています。映画館で待っていてもなかなか足を運んでもらえないので、
こちらから伝えにいくというスタイルがあってもいいのではないかと考えています。
Q:自ら攻めていくわけですね。
藤本:興行の歴史を振り返ってみても、インディペンデントの
ミニシアターのルーツは、映画館の無い時代にホールを借りて自主上映してきた
人たちの活動にあります。とりわけドキュメンタリーに関しては、僕の映画の師匠
である土本典昭とか小川紳介とかが、70年代に自主制作した映画を各地で上映して、
その資金で次回作品を作るというスタイルを作ってきました。その活動が映画を作る自由、
観る自由を作り出してきたわけです。彼らは映画を面白いと思ってくれる人たちと、
自ら出会っていく作業をしてきたのです。この活動はいつの時代にも通じる原点なのでは
ないかと思っています。『アメリカ~』のような規格外の長さの作品は、自らがそれを
観てもらえる機会を作っていく努力をしていかなければいけません。
Q:反省を込めて言うのですが、映画館にいると
どうも受身になってしまいがちです。
藤本:沖縄の桜坂などは若者と文化の拠点を作っていこうことを
実践していますし、いくつかの劇場は試行錯誤して頑張っています。
映画館はこうでなくてはならないということは無いわけですから、いろんなやり方で
お客さんに映画を届ける方法を模索していけば良いと思います。作り手も、映画を観て
もらうことが次の作品につながるわけですから、待っているだけではダメなんです。
★ミニシアターの原点、そして100年後
Q:監督ご自身の話になりますが、映画の道に進んだきっかけを
教えていただけますか?
藤本:学生の時、水俣病の患者さんを支援する運動をやっていて、
そのときに岩波出身の映画作家たち、土本さん、小川さん、黒木和雄さん、東陽一さん
とかの仕事を横目で見ていました。僕は映画青年というわけではなかったのですが、
大学卒業後、長い人生何か面白いことをやりたいと思ったときに映画の道に進むこと
にしました。その後、土本さんの「海盗り」という作品の製作スタッフになって、
土本さんの現場でいろいろ勉強しました。
Q:土本さんや小川さんたちの上映スタイルはどのように
作られていったのでしょうか?
藤本:土本さんたちは長いこと岩波のPR映画を作っていましたが、
一生これで終るのは嫌だと思って自分の作りたいものを作っていこうと始めたのが
自主制作の始まりです。でも、結局出来上がった作品を上映する場所がなかったので、
上映委員会を作って各地で上映していくというスタイルを自ら切り開いていきました。
同時期に上映活動をしていた人たちがいて、彼らと作り手が協同で切り拓いてきました。
それが先ほども言ったように、ミニシアター誕生へと繋がっていったわけです。
Q:その歴史の流れの中に、このジャック&ベティもあるんだと思うと、
いろいろ考えさせられます。さらに先の歴史になりますが、100年後、映画館は
どうなっていくと思いますか。
藤本:うーん、どうなっていくんだろうね。映画館に行かなければ
いけない理由って何なのか改めて問われると、わからない。映画館やっている人も、
今どうして映画館なのかということについて、以前ほど確固たるものが持ちにくい時代に
なってきていますよね。DVDとかパソコンで観れてしまうわけですから。
以前はミニシアターは、系列館ではやらないものが観られる場所としての意味が
あったわけですが、いまは個人の多様な価値観に対応していかなければいけないので
難しいと思います。一ついえることは、家で個人的に観るのと、映画館という場所で
観るということは明らかに違うわけですよね。映画館でしか観られないものが観られる
ということが大事なんだと思います。それは3Dといった技術的なものではなく、
人の心を深く打つものなんだと思います。映画はやっぱり心を深く動かす表現の一つですから。
僕もやっぱり自分の作品を映画館でかけて、それを見たことで人生が変わってしまう
くらいの力のある作品を作っていきたいし、映画館はこれからもそういうものと出会うための
場所であって欲しいと思います。
Q:今日はありがとうございました。
2010年6月27日(土) ジャック&ベティ応接室にて
<プロフィール>
藤本幸久(ふじもと・ゆきひさ)
1954年、三重県四日市市生まれ。北海道在住。
早稲田大学卒業後、土本典昭監督の助監督を経て、初監督作品
「教えられなかった戦争-侵略・マレー半島」(1992年)。
「森と水のゆめ~大雪・トムラウシ~」(1998年)
ムンバイ国際映画祭正式出品作品(インド)
カトマンズ国際映画祭招待作品(ネパール)
トレント国際映画祭(イタリア)正式出品作品
「闇を掘る」(2001年)
アンカラ国際映画祭招待作品(トルコ)
レティナ国際映画祭準グランプリ受賞(ハンガリー)
「Marines Go Home-辺野古・梅香里・矢臼別」(2005年)
山形国際ドキュメンタリー映画祭招待作品(New Docs Japan)、
イスマイリア国際映画祭(エジプト)正式出品作品、
ゴールデン・ミンバール国際ドキュメンタリー映画祭正式出品作品(タタルスタン共和国/ロシア連邦)
「アメリカばんざいーcrazy as usual」(2008年)
「Marines Go Home 2008-辺野古・梅香里・矢臼別」(2008年)
「アメリカ-戦争する国の人びと」(2009年)
「ONE SHOT ONE KILL-兵士になるということ」(2009年)
カトマンズ国際山岳映画祭正式出品作品、
イスタンブール国際ドキュメンタリー映画祭正式出品作品
アメリカ海兵隊のブートキャンプでの、「普通の若者が戦場で
人を殺せるようになる」までの12週間の訓練に密着した作品です。
間違いなく現実に起こっていることを記録した映像でありながら、
悪い夢でも見ているような超現実的な映像の連続に圧倒されます。
今回はこの作品を監督した藤本幸久さんにお話を伺いました。
---------------------------------------
第11回:藤本幸久さん(映画監督)

『One Shot One Kill―兵士になるということ』
ジャック&ベティにて、6/27~7/9まで上映(終了)
今後の上映予定は、公式サイトへ
★普通の若者がなぜ人殺しになれるのか
Q:たいへん面白く拝見しました。面白いというと語弊があります
が…とにかくシュールで、非日常的で、自分も洗脳されてしまうの
ではないかと、観てて恐くなりました。
藤本:「面白い」と思ってもらっていいんです。この作品を通じて、
戦争に関係のない人でも、兵士になって、人殺しができるようになる
ということを描きました。アメリカだけでなく、日本にいる若者も、
自分もこの映画に出てくる若者たちと変わらないということを想像
しながら観てもらえればと思っています。
『ONE SHOT~』は、『アメリカ―戦争する国の人びと』というもう
一本の作品と同時期に撮影した兄弟のような作品です。
『ONE SHOT~』のほうでは、若者が兵士になるまでを描きましたが、
彼らが戦場に行ってどんな経験をしてきて、その後の人生にどう
つながっているのか、ということを長い時間をかけて描きたかったんです。
『ONE SHOT~』は作品としては完結していますが、入隊してから
もう2年くらい経っているので、彼らがいまどこでどんなことを
しているのか、ぜひ今後も追っていきたいですし、4年で除隊する人が
多いのでその後の彼らの人生がどうなっているのか、かつて希望を持って
入隊した彼らの夢はかなえられたのかどうかということが描ければ説得力の
あるものになるのではないかと考えています。
かつてベトナムでいろいろ経験した人たちと、新たに兵士になった人たちの
人生が重なっていくということまで撮ってみたいですね。
Q:『ONE SHOT~』の中でインタビューに答えている若者はどのように
選んだのですか?
藤本:僕たちがリクエストを出して、軍が選びました。条件として
マイノリティの兵士を取材したいと伝えたところ、彼らに決まりました。
おばあさんが日本人の日系三世の若者と、お母さんが日本人の日系二世
の子と、フィリピンから移民してきた若者の三人です。
おばあさんが日本人という子は、戦後日本に駐屯していた米軍との間に
できた子供がアメリカに渡ってできた子供でしょうし、お母さんが
日本人だった彼のお父さんは、海軍兵士だったのでおそらく横須賀に
いた人だと思います。
マイノリティとして、それぞれ背景にドラマを持った若者たちが、
軍に入ってどういう人生を送っていくのかというのは関心があります。
彼らを今後も引き続き撮影できたらと思っています。

上映初日に来館した藤本監督。J&Bのロビーにて。
Q:撮影許可が降りるまで、国防総省との交渉は大変だったんですか?
藤本:外国メディアに許可を出した初めてのケースだったので、国防総省が
許可を出しやすい、信頼感がもてる形で提案する必要がありました。
そこで、TBSのNEWS23と協力することにしたんです。
また、撮影する内容についても軍側にメリットがあるものでなければいけない
ので、普通の若者が兵士になるまでの軍の「教育」を撮りたいと提案
しました。軍としても、兵士たちの様々な事件が起きている中で、
何かモンスターのような得体の知れない人間を
兵士として沖縄や日本に送り出しているのではなく、
普通の若者たちを教育して送っているということを見せるのは有意義だと
考えたのではないでしょうか。
Q:撮影についても、様々な規制があったのですか?
藤本:海兵隊にリクエストを出して折衝しました。最初撮影は3日間と
言われたんですが、若者が兵士になるまでのプロセスを撮りたいと伝え
最終的には30日の撮影期間をもらいました。教官たちは、アドリブは
一切なく、すべてマニュアルどおりに教育しているわけですが、撮影が入る
ということはあらかじめ伝えてあるので、おそらくいつもよりは少し上品
に教えていたのではないかと思います。
Q:そうだとしても衝撃的な映像でした。作品の最終的なチェックはありましたか?
藤本:それはありません。撮影する場面の許可を取っていますし、実際の
撮影には広報担当の立会いの上で撮っているので、撮影した中身はわかって
いますし、できあがったものをチェックするのは検閲になって
しまいますから。
Q:訓練の途中でドロップアウトしてしまうケースもありますか?
藤本:全体の10%です。逆に言えば、90%の若者が馴染んでしまう
わけです。100年以上の試行錯誤のうえで最も効果のあがるプログラム
になっているということです。
★上映時間が8時間の理由
Q:『アメリカ―戦争する国の人びと』では先住民のことまで遡って取材されていますね。
藤本:アメリカは戦争で領土を拡大して大きくなってきた国です。
インディアンを殺戮し、スペインと戦争し、メキシコの領土を占領し、
もともと住んでいた人たちがいつの間にかアメリカの人間になっているという、
そういうやり方で今の国の形を作ってきました。占領されて、住民が
そのまま住んでいるというのは沖縄も同じです。そして基地周辺に住む住民の
人権はないがしろにされています。この映画の「先住民」の部分では、
基地が先住民の子孫たちへの深刻な健康被害を与えているという
アメリカ国内の基地被害について描きました。

『アメリカ―戦争する国の人びと』
上映時間8時間14分の超大作
Q:それにしても、『アメリカ~』の上映時間が8時間というのはすごいですね。
藤本:アメリカ人の戦争体験がそれだけ大きく、深いということです。
この作品ではベトナムから、湾岸、イラク、アフガンなどに送られた数百万人の若者たちの
人生の一端に触れようと思うと、いろんな角度から見えてくるものがあるので、時間のこと
は考えずに伝えるべきものとしてまとめました。
Q:興行としては厳しいですよね。
藤本:今回はポレポレ東中野と下北沢のトリウッドで上映していますが、
やっぱり8時間もの映画を観てもらうのは大変ですよね。
でも映画は観てもらわないと映画にならないので、もっと多くの人に
観てもらえるようにハードルを低くしていかなければと思っています。
8月からは映画館のない場所でも観てもらえるように、自分が自ら機材を持って、
上映しにいく「出前上映」をやって、公民館とかお寺とかどこにでもいこうと
思っています。映画館で待っていてもなかなか足を運んでもらえないので、
こちらから伝えにいくというスタイルがあってもいいのではないかと考えています。
Q:自ら攻めていくわけですね。
藤本:興行の歴史を振り返ってみても、インディペンデントの
ミニシアターのルーツは、映画館の無い時代にホールを借りて自主上映してきた
人たちの活動にあります。とりわけドキュメンタリーに関しては、僕の映画の師匠
である土本典昭とか小川紳介とかが、70年代に自主制作した映画を各地で上映して、
その資金で次回作品を作るというスタイルを作ってきました。その活動が映画を作る自由、
観る自由を作り出してきたわけです。彼らは映画を面白いと思ってくれる人たちと、
自ら出会っていく作業をしてきたのです。この活動はいつの時代にも通じる原点なのでは
ないかと思っています。『アメリカ~』のような規格外の長さの作品は、自らがそれを
観てもらえる機会を作っていく努力をしていかなければいけません。
Q:反省を込めて言うのですが、映画館にいると
どうも受身になってしまいがちです。
藤本:沖縄の桜坂などは若者と文化の拠点を作っていこうことを
実践していますし、いくつかの劇場は試行錯誤して頑張っています。
映画館はこうでなくてはならないということは無いわけですから、いろんなやり方で
お客さんに映画を届ける方法を模索していけば良いと思います。作り手も、映画を観て
もらうことが次の作品につながるわけですから、待っているだけではダメなんです。
★ミニシアターの原点、そして100年後
Q:監督ご自身の話になりますが、映画の道に進んだきっかけを
教えていただけますか?
藤本:学生の時、水俣病の患者さんを支援する運動をやっていて、
そのときに岩波出身の映画作家たち、土本さん、小川さん、黒木和雄さん、東陽一さん
とかの仕事を横目で見ていました。僕は映画青年というわけではなかったのですが、
大学卒業後、長い人生何か面白いことをやりたいと思ったときに映画の道に進むこと
にしました。その後、土本さんの「海盗り」という作品の製作スタッフになって、
土本さんの現場でいろいろ勉強しました。
Q:土本さんや小川さんたちの上映スタイルはどのように
作られていったのでしょうか?
藤本:土本さんたちは長いこと岩波のPR映画を作っていましたが、
一生これで終るのは嫌だと思って自分の作りたいものを作っていこうと始めたのが
自主制作の始まりです。でも、結局出来上がった作品を上映する場所がなかったので、
上映委員会を作って各地で上映していくというスタイルを自ら切り開いていきました。
同時期に上映活動をしていた人たちがいて、彼らと作り手が協同で切り拓いてきました。
それが先ほども言ったように、ミニシアター誕生へと繋がっていったわけです。
Q:その歴史の流れの中に、このジャック&ベティもあるんだと思うと、
いろいろ考えさせられます。さらに先の歴史になりますが、100年後、映画館は
どうなっていくと思いますか。
藤本:うーん、どうなっていくんだろうね。映画館に行かなければ
いけない理由って何なのか改めて問われると、わからない。映画館やっている人も、
今どうして映画館なのかということについて、以前ほど確固たるものが持ちにくい時代に
なってきていますよね。DVDとかパソコンで観れてしまうわけですから。
以前はミニシアターは、系列館ではやらないものが観られる場所としての意味が
あったわけですが、いまは個人の多様な価値観に対応していかなければいけないので
難しいと思います。一ついえることは、家で個人的に観るのと、映画館という場所で
観るということは明らかに違うわけですよね。映画館でしか観られないものが観られる
ということが大事なんだと思います。それは3Dといった技術的なものではなく、
人の心を深く打つものなんだと思います。映画はやっぱり心を深く動かす表現の一つですから。
僕もやっぱり自分の作品を映画館でかけて、それを見たことで人生が変わってしまう
くらいの力のある作品を作っていきたいし、映画館はこれからもそういうものと出会うための
場所であって欲しいと思います。
Q:今日はありがとうございました。
2010年6月27日(土) ジャック&ベティ応接室にて
<プロフィール>
藤本幸久(ふじもと・ゆきひさ)
1954年、三重県四日市市生まれ。北海道在住。
早稲田大学卒業後、土本典昭監督の助監督を経て、初監督作品
「教えられなかった戦争-侵略・マレー半島」(1992年)。
「森と水のゆめ~大雪・トムラウシ~」(1998年)
ムンバイ国際映画祭正式出品作品(インド)
カトマンズ国際映画祭招待作品(ネパール)
トレント国際映画祭(イタリア)正式出品作品
「闇を掘る」(2001年)
アンカラ国際映画祭招待作品(トルコ)
レティナ国際映画祭準グランプリ受賞(ハンガリー)
「Marines Go Home-辺野古・梅香里・矢臼別」(2005年)
山形国際ドキュメンタリー映画祭招待作品(New Docs Japan)、
イスマイリア国際映画祭(エジプト)正式出品作品、
ゴールデン・ミンバール国際ドキュメンタリー映画祭正式出品作品(タタルスタン共和国/ロシア連邦)
「アメリカばんざいーcrazy as usual」(2008年)
「Marines Go Home 2008-辺野古・梅香里・矢臼別」(2008年)
「アメリカ-戦争する国の人びと」(2009年)
「ONE SHOT ONE KILL-兵士になるということ」(2009年)
カトマンズ国際山岳映画祭正式出品作品、
イスタンブール国際ドキュメンタリー映画祭正式出品作品
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