100年後の映画館のために

映画館元副支配人による映画と映画館をめぐるインタビューの記録

2017-10

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映画は人生の応援歌(原一男さん)

記念すべき10回目にお届けするのは、「極私的エロス・恋歌1974」、
「ゆきゆきて、神軍」、「全身小説家」など、ドキュメンタリー映画史に残る
数々の傑作を作ってきた原一男監督です。
5月にジャック&ベティで行われた原監督全作品上映で来館された際にお話を
伺いました。
常に体を張って映画を作ってきた監督だからこそ言える、若い作り手たちへの
厳さと愛情あふれる言葉をお聞きすることができました。

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第10回:原一男さん(映画監督)

★昭和と平成の狭間で
Q:これまで監督は数々の話題作・問題作を作り影響を与えてきました。なぜこれ
ほどまでに社会に衝撃を与える力のある作品を作り続けられたのでしょうか。
原:僕らの世代は70年代の全共闘運動に大きな影響を受けていて、根っこの部分
に常に自由に向かって作品を作ろうという意思があります。現実を自由じゃなくさ
せているものの正体をひとつひとつ明きらかにして、それをスローガンを声高に言
うのではなく、その不自由さと戦っている人と出会って、そういう人と向き合い、
双方の力で格闘しながら映画を作っていくというスタイルで僕らは作ってきました。
でも、昭和が終って、時代が変わり、問題意識も変わりました。人間という生き物
は基本的に自分を虐げるものに対して戦っていこうとする指向性を持っていますが、
現代はその虐げている相手、巨大な何かが見えない時代です。これまでは、ある問
題があって、それに対する考え方があり、主人公がその問題に体を張って立ち向か
っていくというストーリーで作品が作れたのですが、いまは抵抗する相手が見えに
くくなっていて、しかも戦うという意識そのものが弱くなっている気がします。
いまの若い人の作品を観ていても、自分自身がまず満たされてなくて、自信が持て
なくて、そんな自分を誰かに救って欲しいという気持ちで作られているものが多く
見受けられます。そうした映画には、観た人がそこからエネルギーがもらえたり、
励まされたりするような力がありません。僕たちは人生の応援歌のつもりで映画を
作ってきましたから、そこが70年代と現在との大きな違いだと感じています。

Q:時代とともに作品のつくり方は変わってきましたか?
原:『全身小説家』まではいま言ったような方法と問題意識で作ってきましたが、
こういう作り方はもうできないんじゃないかと思っています。「ゆきゆきて、神軍」
が完成したのは昭和天皇が亡くなる2年前で、昭和天皇が亡くなってからは昭和
が持っていた戦後のエネルギーが急速に萎んでいきました。奥崎さんや井上さんの
ような破天荒な人はもう存在しないですし、たとえいたとしてもああいう生き方は
時代から浮いてしまい単なるおかしな人になってしまいます。ドキュメンタリーは
時代の影響を敏感に受けますから、もう今までのやり方は難しいと思い、違う作り
方を模索しているんですが、まだ「これだ!」という方法が見つかったという気が
していません。


harakazuo.jpg
シネマ・ジャック&ベティでの舞台挨拶の様子。
Q:
それが監督がドキュメンタリーからドラマへと移行した理由の一つなんでしょ
うか?
原:ドキュメンタリーが作れなくなったからドラマを作り始めたというわけでは
ないんです。子供の頃はただ娯楽映画が好きで、ドキュメンタリーなんて観たこ
となかったわけですから。いつか、とてつもなく面白いアクション映画を作りた
いと思っていたりします。自分にとって、ドキュメンタリーとドラマは別のもの
なんです。ドキュメンタリーはフィクションであるという映画理論的な統合の仕
方は模索していますが、作る映画の系列からするとドラマとドキュメンタリー別
々に追求していきたいんです。だから、ドキュメンタリーが手詰まりだからドラ
マに移行したというわけではないんです。

Q:原監督はドキュメンタリーとドラマの境界線を分けないで作ってきたのでは
ないかと思っていました。

原:映画理論的にはそうなんですが、作ってみるとだいぶ違うんですよ。特に役
者の動かし方ですね。ドキュメンタリーはこちらの思惑の中で相手が動くわけで
すが、ドラマでもまず動いて見せてもらって、とドキュメンタリーのノリで考え
ていたんですが、役者はそういう動き方はしません。そのことを『またの日の知
華』のときに桃井かおりさんに厳しく言われたんですが、克服できたかというと、
まだできていないのではないかという反省があります。


★中国の状況から見えてくるもの
Q:面白いと思える映画を作るときに必要なことは何でしょうか?
原:「勢い」でしょうか。この前中国に行ったんですが、同行したアメリカ人がい
ま中国映画は勢いはあるけれど、スタイルがモノマネで底が浅い。中国のドキュメ
ンタリーはもっと映画について勉強すべきだという評価をしていました。そういう
面はあるとは思いますが、私は「勢い」というのは大切だと思うんですよ。勢いさ
えあれば、技術や理論がなくても結構面白いものができてしまうのではないか。そ
ういう点では、中国の作品には面白いと思えるものがあります。反面、このままで
はいずれ行き詰まるだろうなという予感があります。

Q:中国はいまなんでもありで、そこら中に問題がゴロゴロころがっているという
状況も、勢いのある作品が出てくる要因でしょうね。逆に日本は監督がおっしゃる
ように問題が見えにくい。
原:そうです。中国は私たちが作った70年代の映画を観て影響を受けて勢いが出
てきている一方で、日本は勢いを失ってしまいました。複雑な思いがしています。

Q:フィルムだと撮り直しができないから、1コマ1コマが貴重ですよね。だから
緊張感のある映像が撮れたという面もあるのではないでしょうか。技術面での変化
も、作品の質に影響を与えているのではないでしょうか。
原:中国のドキュメンタリーは尺が長いのが多いんです。平気で6時間とか9時間
とかあります。なんでこんなに長い作品が作られるのかというと、これらの作品は
映画館ではかけられないので映画祭でしか上映されません。映画祭は関係者と作り
手のお祭りであり商売の場であって、お客さんがいるようでいない。それに中国の
映画祭は基本的には無料で観れます。だから作り手は「お客さんに見せる」という
ことに対してシビアにならなくてもいいというのが、作品が長くなっていく理由の
ようです。やっぱりお客さんの存在があって、お客さんに見せるためにいかに縮め
て面白くするかという意識が必要です。「観る人のために」という意識が中国のドキ
ュメンタリー欠落しているのです。

Q:やっぱりお客さんあっての映画だということですね。
原:映画というものは人生の応援歌なんです。観る人に勇気とか感動を与えてあげ
られるようなものを作り手は目指していかないといけないと思います。わざわざ映
画館まで来てもらって、お金を払ってもらうわけですから。


★命がけで撮るという覚悟
Q:映画の興行の話ですが、私がジャック&ベティにいたときにヒットした映画は
実はほとんどドキュメンタリーでした。「特攻」「いのちの食べかた」「靖国」などで
す。あとはドラマですが若松孝二さんの「連合赤軍」。やはり社会的な問題意識の強
く打ち出された作品には人を劇場まで来させる力があると感じました。
原:そうですか。そういうものを観ようという心意気を持った人たちがいるという
のはいい話ですね。

Q:とはいっても、大半の作品は1回に入るお客さんは10人いるかいないかという
状況です。監督から見ていまの映画と映画館を取り巻く状況をどう見ていますか?
原:僕らも映画館で観たいと思いながら、DVDで済ませてしまったりします。古今
東西のあらゆる名画をもう一度観なおしたいという気はあるんですが、じゃあ映画
館に行くかといわれたらあまり行かなくなってしまいました。時間的な問題もあるし、
DVDならいつでも観れる気安さがあります。大阪芸大で演劇と映画の批評をやって
いる重政隆文さんが「絶対映画館主義」を主張していますが、あの人に会うと胸が
痛くなるんですが(笑)、やっぱり映画館で見た映画はDVDとは違うという主張は正
論だと思うんですが、DVDのほうが落ち着いて観れるということも否めません。

Q:世の中にはお客さんの入らない映画がたくさんあります。興行的な側面で言いま
すと、お客さんが入らないと厳しいんですが、映画館はそういう作品の受け皿として
の意味もあると思います。映画館をやっているその部分で葛藤があります。
原:作る側から言うと、ドキュメンタリーはたくさんの人に来てもらう力としては劇
映画にくらべると不利だという感覚があります。だから1本のドキュメンタリーは劇
映画3本分の面白さを詰めないと太刀打ちできないと思っているんですよ。そのくら
いの破壊力を持った映画を作っていかないとお客さんも来ないだろうなと思って作っ
てきました。今の映画はどうしてもひ弱にな作品が多く、お客さんを集める力は無い
だろうと思ってしまいます。いまはそこそこの評価で劇場公開されたりしますが、そ
んなに甘くないだろうと思ってしまいます。ダントツに面白い作品を作るという必死
さが感じられません。映画館にお金を払って観に行くということは、何かしらの刺激
を受けたい、生きる力を映画からもらいたいという明快な欲求を持っていますから、
それを満たしてあげないといけません。それを逆にお客さんの持ってるエネルギーを
もらおうというレベルの映画じゃダメなんです。作り手である僕らだって、映画館に
来るお客さんと同じような感性と感覚を持って日常生活を生きているわけです。でも
映画を作るとなるとそのレベルで映画を作ってそのレベルでお客さんに見てもらって
も意味が無いし、お客さんは観ようという欲求が起きませんよ。命をかけるくらいの
ものを作品として作って、そこまでやるならちょっと観てみようかと、そこで初めて
お客さんの欲求を刺激できるわけです。そこの覚悟が無い作品がなんと多いことかと
いうことじゃないでしょうか。

Q:映画と映画を取り巻く状況はこの先どうなっていくのでしょうか?
原:中国の作家たちはこれまでワイズマンや小川伸介の影響を受けて、なんとなく作
ってきましたが、自分たちで新しい方法を探らなければいけないという意識を持って
変わり始めているところなんです。作り手の意識が変われば、作品の質も変わり、映
画の見せ方も変わっていくということも考えられます。それと、映画の歴史をみてみ
ますと、サイレントから始まって、音が付き、ワイドになって、色が付いて、いま
3Dが出てきたわけですが、技術の進歩とともにどんどんショーアップしていくとい
うのが映画の一つのあり方だと思います。何百億というお金をかけて、絶対に映画館
でなければ観られないものを作って、たくさんの人を動員して、回収するというや
り方です。いまの状況をみますとこの方向でこの先も進んでいくのは間違いないでし
ょう。でも、そうやって作られた映画からは一瞬の快感しか得られず、映画館から出
た瞬間に忘れてしまいます。それに物足りないと感じて、違うタイプの映画、じわーっ
ときて長続きする感動を求める人も間違いなく存在します。それはごく少数の人かも
しれません。でも少数者のための映画というのもあってもいいだろうと思うわけ
です。少数者のための映画は、生き方を揺さぶられるような映画であって、作り
手も命をかけて作らなければなりません。このタイプの映画は一人で量産はでき
ませんので、強い意志を持った作家たちの一群がこの先出てくるだろうと考えて
います。現段階では映画は今後もあり続けだろうということは間違いないという
ことは言えますが、100年後のことはさすがにわかりません(笑)

Q:そうですね、映画はなくならないと思います。でも、映画館があるかどうか
はわかりません。映画館が無くても映画は観れるわけですから。存続し続けるた
めには、作り手が命をかけて作るように、劇場の人間もそれ以上に気合を入れて
いかなければいけないということだと思いました。今日は貴重なお話をありがと
うございました。

2010年5月5日(土) 伊勢佐木町「東亜珈琲館」にて


<プロフィール>
原一男(Kazuo Hara)
1945年山口県宇部市生まれ。東京綜合写真専門学校中退。
72年『さようならCP』監督・撮影。
74年『極私的エロス・恋歌1974』監督・撮影(トノンレバン独立国際映画祭グランプリ受賞)。
87年『ゆきゆきて、神軍』監督・撮影(日本A映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリ、報知映画賞優秀監督賞、等受賞)。
94年『全身小説家』監督・撮影(キネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞、等受賞)。
98年テレビドキュメンタリー『映画監督浦山桐郎の肖像』演出(放送文化基金賞受賞)。
2000年ビデオ作品『学問と情熱 高群逸枝』監督(教育映像祭優秀作品賞受賞)。
2004年『またの日の知華』
マイケル・ムーア監督など、国内外問わず数々の映画人たちにリスペクトされる巨匠。
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